まずは、女性更年期の話をします。
我が国では、もともと東洋医学的な考えによって、女性の経年的な心身の変化を考えていました。女性の更年期もその流れに沿った形で理解されてきました。
もともと東洋医学では、更年期年代を特別に分けて考えることはしていませんでしたので、特に更年期という概念は無く、あくまでも経年的な変化としてのみ捉えていたのです。
 しかし、20世紀初頭から始まった内分泌学という観点で女性更年期を理解するという考えは、我が国にも伝わって、従来の東洋医学的な観点からの女性の変化に対する考え方を大きく変化させることとなります。
 また、女性更年期の概念の成立には、当時の社会的な背景も大きく影響していたのです。
 20世紀初頭は、世界は列強国が覇権争いを繰り広げる時代でした。
 中でも我が国は、日露戦争に勝利し、世界の列強に名乗りを挙げていった時代でした。
 そのために、国家を挙げて国力の増強に邁進していったのです。
 
 その時代、国力増強の観点からは、まず女性に要求されるものは丈夫な子供を多く産んで、一人前の社会人(=軍人)に育て上げることでした。
 そのため女性は“良妻賢母”であることが求められていました。
 一方、20世紀初頭、すなわち大正からは、高等教育を受けた女性の社会進出が始まります。漫画の『はいからさんが通る』で描かれた様な状況です。しかし、女性が社会進出をすることは、当時の我が国に於けるステレオタイプな社会観では、国力増強という面で否定的に捉えられることも多く、これが近代日本における女性像を変化させていきます。そして、これは医学的な考え方としての女性更年期の概念にも大きく影響を与えます。
 1929年に医学博士、賀川哲夫氏が学会誌に起草した文章には、更年期女性について次のように書かれています。
 『女には更年期又は閉経期という時期があり、この時期に入った女性は、製児器械としての女の職務から免職となり、失業者の群れに投じて、肉体的にも精神的にも、少なからぬ苦痛を嘗めなければならぬ』
 国家の近代化という宿命を背負っているとはいえ、この様な考えは女性に対する冒涜であり、全くもって許容することのできない考え方であると思います。(また、そもそも目覚ましい発展を遂げた国というものは、例外なく女性がしっかりとして支えています。女性の活躍が前面に現れるか、縁の下の力持ちとしてサポートに回るかの違いはありますが)
しかし、当時はこれが女性更年期に対する考え方の根本でした。

この様に、多くの問題をはらんで社会的に認知された女性更年期という概念ですが、これを機に、女性更年期を治療してもよいのではないかという機運が高まりました。
もともと我が国には女性疾患についての治療としての漢方薬が、そのまま女性更年期に使用されてきたのに加え、新しく導入された女性ホルモン補充療法、精神科的な治療薬、後に導入される胎盤療法(プラセンタ治療)などが行われるようになります。その結果、我が国の女性更年期治療は、世界でも類を見ないほど充実していくこととなります。

それに対し、20世紀初頭からドイツで提唱された男性更年期の概念については、おおむね否定的となっていきます。
いわゆる“育児と家事に専念する女性を社会的に守る役割を担う男性”にとっては、60歳までは著名な衰え=男性更年期なるものは存在しない。また、壮年期の男性が更年期で、その男性としての責務を放棄することは、家庭の崩壊やひいては国家的な活力の低下を意味すると考えられていたのです。
そして、時代は1930年台後半へ。
世界は、国家間の覇権主義争いが激化します。
その状況の中、男性の社会的あり方も大きく変化して行きます。

次回は昭和初期における男性更年期の捉え方について。“帝国主義と男性更年期障害”の話をします。

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