1930年代になって、ホルモンなどの内分泌研究、ビタミンの発見など微量元素が身体に与える影響の研究などが発展し、各種物質や内分泌物質の欠乏により実に様々な疾患が生じている事が判明しました。
そしてその先には、物質の欠乏によって疾患が生じるならば、その物質を補充してやれば治療が可能であるという考えがあります。
この考え方によって、医学は飛躍的な発展を遂げました。

先ず、微量物質の欠乏により生じた疾患については、鉄が不足すると貧血が生じることや、ビタミンB1が長期に不足すると脚気になることなどが判り、その物質を補充する治療が確立されて行きました。これらの治療は、副作用も少なく、現在でも行われています。これにより、現代では、鉄欠乏性貧血や脚気で死に至る人は皆無となりました。
また、微量物質にまで及んだ栄養学の進歩は、現代の飛躍的な寿命の延長を下支えしています。

さらに内分泌物質の特定と医薬品としての内分泌物質の開発と実用化は、様々な疾患の治療に革命を起こしました。
膵臓から分泌されるインスリンの不足が原因となる糖尿病は、生命維持が困難となる重度な状態でも、適切なインスリンを投与することによって治療が可能となりました。少なくとも、糖尿病による高血糖からの死は完全に避けることが可能となったのです。
橋本病などによって生じる甲状腺機能低下症も、かつては死に至る可能性のある疾患でした。これも甲状腺ホルモンの適切な投与で、完全に生命の危険を排除する事が出来ています。このように、疾患治療の概念が根本的に変わったものも数多くありました。
更年期障害に対する、男性ホルモンの治療もこの頃から行われています。しかし、男性更年期障害はもともと直接生命に関わるものではなかったために、あまり医学的な検証が行われず、高齢男性もしくは支配的=ヘゲモニックを求める男性のQOL改善という意味合いでの投与になっていました。

この様に、医学的治療としての内分泌学の発達は、思わぬ副産物を産みだします。それは、ホルモン投与による健康な人間のパフォーマンスアップという側面です。
自覚症状もなく、内分泌異常もない健康な人でも、甲状腺ホルモンや副腎系のホルモン、男性ホルモンの投与を行うと、精神的な高揚感や肉体機能の増強もしくは増強感を得られる事が判明したのです。
そして、ホルモン投与の効果は、軍隊や警察などにおける肉体的・精神的な増強やスポーツに於ける記録の改善にも結び付く可能性が示唆されたのです。現代につながるスポーツ・ドーピングは、ホルモン剤の開発で強度が飛躍的に向上したのです。
1930年代は、国家の威信をかけたスポーツという考えが芽生えた時期でもありました。それはオリンピックの歴史を見てもわかります。
夏季オリンピックは、1924年のパリ大会では、まだまだ牧歌的な我が国に於ける国体的な大会でした。
それが、1928年オランダ、アムステルダム大会で聖火台が導入され、1932年アメリカ、ロサンゼルス大会では、国家規模の大会へと規模が拡大。
そして迎えた1936年ベルリン五輪。主催したのはドイツ第三帝国。この大会で、ドイツは壮麗なメインスタジアムなどの施設を建設。ヒトラー総統は、国家の威信にかけたメダル獲得を厳命します。いかなる手段を用いても、祖国のために金メダルをという考えが明確化したのはこの大会からでした。

1930年代、国家間の覇権争いの激化の時代、我が国もその例外の漏れず、覇権主義的な道を歩み続けます。社会全体が支配的=ヘゲモニックであることが要求される時代。強いリーダーシップのもと、挙国一致体制で国難を乗り越えることが至上命題となった時代です。
国家覇権主義の代理闘争となった感のある1936年のベルリン五輪でも、日の丸を背負った選手の活躍が華々しく報道されます。競泳の前畑やマラソンの孫基禎、サッカー日本代表などの活躍に胸躍らせる日々。
そして、人々の期待は来るべき1940年、オリンピック初のアジア開催、東京五輪へと繋がっていきます。
しかし、時代は確実に国家総動員=戦争準備への道をひた走ります。
全体主義的な国家総動員体制においては、国家体制だけではなく、国民個々の在り方についても細かく規定されます。模範的国民と非国民という考え方です。
これらの時代背景を持つ考え方は、多くの国民に影響を与えましたが、その中でも特に家長の位置にある男性、そして職業としては軍人に、より規範的な制約を課すこととなります。
そして、その概念は男性に於いてのホルモン投与や各種覚醒物質の開発や投与に繋がり、医学的治療の概念の根本を揺さぶります。

次回は、国家総動員体制時に於ける男性ホルモン治療、『戦争と男性更年期治療』について話したいと思います。

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